大正時代に 箱根底倉 蔦屋旅館の澤田(金和)義が
箱根を盛り上げようと、私財を投じて建立した石碑です。
底倉温泉に「蔦屋旅館 高山園」なる 総合レジャー施設的な
旅館を経営していたらしいですね。
今でいう 健康ランド とか スパリゾートみたいなものかな。
まずは 1つ目
【強羅公園開拓の碑】
強羅公園の中段・左側に鎮座してます。
ふむふむっ
なるほど大正時代 強羅公園の開園時に
石碑を建てたのですね。
石碑に文章が書いてあるのに
その説明文って・・・
たしかに現代文の方が 読みやすいです。
文も短いですし・・・
公園内のレストランで
「強羅園カレー」
すごく おいしかったです
カレーを見ると
口に ヨダレが出てきますねっ!
続きまして 2つ目は
【坂田金時の碑】
足柄の金時のことですね
幼名:金太郎おぼっちゃまのことです
幼少の頃から マサカリを担いで散歩して
鯉に乗ったり
熊に乗ったり
カラス天狗と遊んだり と波瀾万丈です。
現代では 五月人形 や 破天荒ぶりにあやかってか 背中の彫物
などで大活躍していますっ!
当時は 馬鹿でかい鯉がいたのか、
金太郎って パンダの子供みたいに
ものすごく小さかったのか 少々疑問は残りますが
鯉にまたがって滝を登る心意気は認めます。
熊は本州だから ツキノワグマかなぁ?
昔 テレビで藤原組長(プロレス)が熊とスパーリング?!
して 危なかった映像を 思い出しました。
そんな話をしながら 100m程歩きますと・・・
登山道左側に鎮座してます。
頭に しめ縄を巻いています。
続きまして 3つ目は
【裏関所趾の碑】
お塩 と お酒 が供えてあります。
仙石原のT字交差点付近にあります。
T字を 顔に見立てると 左目辺り。
昔は 裏街道の関所があったそうですね。
今は 焼肉屋さんの前です。
「お代官様 さあさあ カルビでも おひとつ・・・・・」
続きまして 4つ目は
碓氷峠の
宮城野城跡の中にある
【吾妻はやの碑】
今は 宮城野から仙石原の 早川沿いに
道がありますが
碓氷峠という峠を越えたらしいですね。
送水管の横を入っていきます。
写真 左手の伐採してある道です。
奥に入っていくと
うっそう としてきましたよ
何か出るのでは・・・
じゃんっ!
ありました
【吾妻はやの碑】
実は1回目に来たときは探しきれず
2回目の探索で発見しました。
日本武尊が、妻の死を嘆いた所みたいです。
あららっ ちょっとかわいそうです。
続きまして 5つ目は
じゃんっ!
【桜花の碑】
桜花の碑は
「千条の滝」の前にあります。
この涼しげな滝の読み方は
「ちすじのたき」
です。
続きまして 6つ目は
【笈平甘酒茶屋の碑】
箱根の旧街道を 江戸から来て
芦ノ湖が見える少し前にあります。
芦ノ湖からですと
旧街道で畑宿を目指して行くとありますよ
今も 甘酒茶屋が営業してます。
もちろん 甘酒 がおいしいです。
糀 と ご飯を混ぜた
家で作る 甘酒の味です。
道に幟旗が出ていて
車が通ると
風で ヒラヒラしますよ。
建物の右脇にありました
じゃんっ
【笈平甘酒茶屋の碑】
この場所に
いろいろな石碑がありますので
少々探してしまいました。
蔦屋旅館 髙山園の石碑を
ざっと 6つの紹介しましたが
まだまだ 残りがあるようです。
・芦の湯付近 新羅三郎笛塚の碑
・早雲山付近 信の行者の碑 (信=まこと)
・小涌谷付近 池尻茶亭の碑
少なくても あと3つ ありそうです。
これは昭和元年ごろ発行の
「箱根案内図」なるものです。
北東から南西を鳥瞰していますね。
早雲山周辺を拡大しますと
上強羅駅の左上に
「信の行者碑」とあります。
道了尊より上ですね。
これは本格的に登山かな?
笛塚周辺を拡大しますと
「新羅三郎ノ碑」
「池尻茶亭ノ碑」
がありますね。
これは大正11年発行の本ですが
「笛塚懐古之碑」の文面が載っています。
箱根に行くたびに それとなく探すのですが
発見できません。
笛塚の碑 に関しては、10回近く探索しているのですが
いまだに発見できません。
もしかして湯ノ花ゴルフ場の中かなぁ~
まずは 大涌谷の噴火が落ち着いたら
早雲山に探索に行ってみたいと思っています。
ではでは